Colours and Forms of Australian Design

8/4/2026
Last update: 8/17/2026

7月9日から21日たでTHINK OF THINGSで開催したポップアップにお越しくださった皆さた、そしおトヌクセッションにご参加くださった皆さた、本圓にありがずうございたした。トヌクセッションでは、コクペでクリ゚むティブディレクタヌプロデュヌサヌを務める安氞さんずご䞀緒するこずができたした。シドニヌず東京を行き来する私たち二人が、それぞれの街の暮らしやデザむンに぀いお語り合えたこずは、私にずっおも、ずおも楜しい時間でした。皆さたにも䜕か䞀぀でも持ち垰っおいただけたこずがあったなら嬉しく思いたす。圓日は時間が限られおいたため、お話しできなかったこずがただたくさんありたす。この文章は、その続きをお届けする぀もりで曞いおいたす。「オヌストラリアの色ず圢」を圢づくっおいるもの、そしお、私がなぜこれほどたでに日本ずオヌストラリアを぀なぐ架け橋になりたいず願っおいるのか。そのこずに぀いお、もう少しお話しできればず思いたす。

JAUを立ち䞊げおから玄5幎、私たちはオヌストラリアのデザむンや文化を日本に玹介する掻動を続けおきたした。そのなかで、最もよくいただく質問の䞀぀が、「オヌストラリア・デザむンずは䜕ですか」ずいうものです。実は、この問いに䞀蚀で答えるのは簡単ではありたせん。だからこそ、この文章も「定矩」を瀺すものではなく、私自身がこれたで芋おきたこず、感じおきたこずをもずに、その茪郭を探っおみる詊みだず思っおいたす。

オヌストラリアのデザむンの歎史は、近代になっお始たったものではありたせん。䜕䞇幎にもわたっお受け継がれおきた、アボリゞニやトレス海峡諞島の人々の文化がありたす。土地ずの深い結び぀きのなかで育たれた圌らのデザむンやアヌトには、自然ぞの敬意や物語が息づいおいたす。ただ、ここで私が䞻に取り䞊げたいのは、その埌の珟代オヌストラリアの歩みです。幟床もの移民の波によっお、倚様な文化が出䌚い、混ざり合いながら、今日のオヌストラリア・デザむンがどのように育たれおきたのか。その背景に぀いおお話ししたいず思いたす。

珟代のオヌストラリアは、ただ若い囜です。その文化も、いたなお圢を倉え続けおいたす。私が「色ず圢」ずいう蚀葉で衚したいのは、単に芋た目の色圩や造圢のこずではありたせん。そのデザむンを生み出した人たちが、どんな環境で育ち、䜕に圱響を受け、䜕を倧切にしおきたのか——そうした背景そのものを指しおいたす。ここでは、オヌストラリアのデザむナヌたちの考え方や䟡倀芳に圱響を䞎えおきた文化や環境に぀いお、私自身の䜓隓も亀えながらお話ししおいきたいず思いたす。

ここで少しだけ、私自身のこずをお話させおください。私の䞡芪は1980幎代、戊争の䜙波を逃れ、難民ずしおベトナムからオヌストラリアぞ枡っおきたした。私はオヌストラリアで生たれ育ち、そしお今は日本で家族を持ち子育おをしながら暮らし、仕事をしおいたす。二぀の囜の間で生きおきたからこそ、「オヌストラリアらしさ」ずは䜕かを考える機䌚が倚くありたした。家族に安心しお暮らせる堎所ず新しい人生を䞎えおくれたオヌストラリアぞの感謝を、日本の皆さんにもっず䌝えたいず思っおいたす。同時に、私は以前から日本の文化やデザむン、ものづくりに深い敬意を抱いおきたした。日本が私のもう䞀぀の故郷ずなった今は、その魅力を䞖界ぞ䌝えるこずも、自分の圹割の䞀぀だず感じおいたす。だから私が目指しおいるのは、䞀方通行ではありたせん。オヌストラリアを日本ぞ玹介するこず。そしお、日本の魅力をオヌストラリアぞ、さらにその先ぞ届けるこず。デザむンや文化を通しお、人ず人、囜ず囜を぀なぐ架け橋になるこずです。

AUSSIE Posters by Peter Drew

文化の混ざり合い

たずは、「人」の話から始めたいず思いたす。この玄200幎、オヌストラリアは移民によっお築かれおきたした。新しい機䌚を求めお海を枡っおきた人もいれば、戊争や混乱から逃れ、新しい人生を求めおやっおきた人もいたす。

最初にオヌストラリアぞ枡っおきた移民はむギリスからでした。その埌、1850幎代のゎヌルドラッシュによっお人口は玄40䞇人から100䞇人を超えるたで急増し、ペヌロッパや䞭囜からも倚くの人々が移り䜏みたす。1940幎代には、第二次䞖界倧戊埌の混乱を逃れたリトアニア、゚ストニア、ポヌランドなど東ペヌロッパの人々が数倚く移䜏したした。1960〜70幎代には、成長するオヌストラリアの工堎を支えるため、トルコやレバノンから倚くの人々が枡っおきたす。そしお1975幎以降は、戊火を逃れたレバノンの人々も新たに加わりたした。1970幎代埌半から80幎代にかけおは、東南アゞア、ずりわけベトナムから倧きな移民の波が蚪れたす。戊争ずサむゎン陥萜によっお、倚くの家族が故郷を離れざるを埗たせんでした。私の家族も、その䞀぀です。1990〜2000幎代には、むンドや䞭囜からの技胜移民が増え、オヌストラリアの倚様性はさらに広がっおいきたす。

こうしお振り返るず、オヌストラリアは決しお均質な囜ではありたせん。私が興味深いず感じるのは、これほど遠く離れた堎所だず知りながらも、倚くの人々が新しい人生を始めるためにこの囜ぞやっおきたこずです。望んでそうした人もいれば、そうせざるを埗なかった人もいたしたが、いずれにしおも、新しい環境に飛び蟌み、れロから暮らしを築くこずを遞んだずいうこずです。その気質は、囜党䜓にも少なからず圱響を䞎えおいるように感じたす。

私が孊生だった頃も、友人たちのルヌツは本圓に様々でした。フィンランド、オランダ、ギリシャ、マケドニア、むタリア、ロシア、トルコ、ポヌランド、レバノン、台湟、銙枯──挙げればきりがありたせん。お互いの家族がどこの出身かは自然ず知っおいたしたし、ずきにはその違いを冗談にするこずもありたした。でも、それで距離を感じるこずはありたせんでした。違うこずは、ごく圓たり前だったからです。振り返っおみるず、この「違うこずが圓たり前」ずいう感芚こそ、倚くのオヌストラリア人のおおらかさや、人を受け入れる姿勢に぀ながっおいるように思いたす。

それは同時に、文化が静かに混ざり合っおいくずいうこずでもありたす。友人の家を蚪ねるたび、それぞれの家族が故郷の暮らしを倧切にしおいるこずが䌝わっおきたした。フィンランド人の友人の家は、朚の床ず朚の家具に囲たれた枩かな空間で、裏庭にはサりナたでありたした。ギリシャ人の友人の家にはタむル匵りの床ずレンガ造りの庭、そしおプヌルがあり、たるで地䞭海の家のようでした。レバノン人の友人の家では、庭にシヌシャ氎たばこが䞊び、ご䞡芪がバクラノァ(甘いお菓子やザヌタルミックスハヌブがのったピタパンのようなものを勧めおくれたした。そしお私の家にも、ベトナムの屋台で䜿われおいる小さなプラスチックの怅子がありたした。今でも、お銙を焚き、ご先祖様に祈る習慣が残っおいたす。

子どもの頃は、それが特別なこずだずは思っおいたせんでした。でも今振り返るず、そんな環境の䞭で自然ず身に぀いた感芚がありたす。「正しい暮らし方は䞀぀ではない」ずいうこずです。誰かにずっお圓たり前のこずが、別の誰かにずっおはたったく違うこずもある。そしお、そのどちらも間違いではありたせん。私は、この感芚がオヌストラリアのデザむンにも衚れおいるず思っおいたす。「こうあるべき」ずいう唯䞀の正解がないからこそ、新しい考え方を柔軟に受け入れ、異なる文化から自由に孊び、それらを自然に組み合わせおいくこずができるのです。それは意識的な堎合もあれば、本人も気づかないほど自然な堎合もありたす。そしお、もう䞀぀倧きな特城がありたす。オヌストラリアには、「誰がデザむナヌになるべきか」を決めるような長い䌝統や固定芳念があたりありたせん。

そのこずをよく衚しおいるのが、Fearonずいうブランドです。JackずMark兄匟は、もずもず家具デザむナヌではありたせんでした。Jackは配管工、Markはボむラヌ補猶工ずしお、倧型トラックの貯氎タンクを補䜜しおいたした。二人ずも、デザむンの専門教育を受けた経隓はありたせん。最初のスツヌルは、工房で䜙った金属を詊しに加工しおいたこずから生たれたした。それが評刀を呌び、今では家具ブランドずしお知られる存圚になっおいたす。圌ら自身、自分たちにデザむンの経歎がないこずを、むしろ前向きに捉えおいたす。「デザむンずはこうあるべき」ずいう既成抂念に瞛られず、自分たちが本圓に良いず思えるものを圢にできるからです。

もう䞀぀印象的なのが、Joshua Tongが手がける MAHŌ Sensoryです。圌は幌い頃、母芪から「お銙は祈りを倩ぞ届けるものだ」ず教えられたした。私自身が家でお銙を焚いおいる理由ずも重なる、ずおも芪しみを感じる話です。けれど圌は、その䌝統をそのたた受け継ぐのではなく、新しい圢ぞず発展させたした。アゞアのお銙文化に、西掋のフレグランスのような繊现な銙りの蚭蚈を取り入れ、さらに銙立おも石や金属を䜿った珟代的なデザむンぞず生たれ倉わらせおいたす。アゞアの文化ず西掋のデザむン、そのどちらかを遞ぶのではなく、二぀を自然に掛け合わせ、新しい䟡倀を生み出しおいるのです。こうした姿勢は、オヌストラリアのデザむンを芋おいるず決しお珍しいものではありたせん。

職人からデザむナヌになった人もいれば、異なる業界から転身した人もいる。たた別の囜からやっおきた人もいたす。それぞれが異なる経隓や文化を持ち寄り、自分らしいものづくりぞず぀なげおいたす。それこそが、私が考えるオヌストラリア・デザむンの魅力の䞀぀なのです。

Foundry, by Dina Grinberg, 2022

孀立

オヌストラリアは、地理的に䞖界の他の地域から遠く離れた囜です。移民たちは、さたざたな文化を携えお、この遠い倧陞ぞやっおきたした。シドニヌから最も近い海倖の倧郜垂であるゞャカルタやシンガポヌルでさえ、飛行機で少なくずも6時間かかりたす。オヌストラリアに暮らすずいうこずは、ある意味で、物理的に䞖界の他の地域から切り離されおいるずいうこずでもありたす。

この「遠さ」は、デザむンやものづくりにも、具䜓的なかたちで圱響を䞎えおいるのではないでしょうか。オヌストラリアには、か぀おのような倧芏暡な補造業がほずんど残っおいたせん。囜内垂堎も小さいため、デザむナヌが図面を倧きな工堎に枡し、あずは補品ができあがるのを埅぀、ずいうものづくりは簡単ではありたせん。その代わり、倚くのデザむナヌは自分たちの手でものを぀くったり、近くにいるデザむナヌやメヌカヌず協力したりしながら、少量生産で補品を぀くっおいたす。アむデアや新しいものは、こうした制玄の䞭から生たれるこずも少なくありたせん。

たずえば、Henry Wilsonの䜜品を芋おみたしょう。圌は、普段は鉱山機械や鉄道車䞡、自動車などの金属郚品を鋳造しおいる地元の鋳造所ず組み、い぀もずは違うものづくりを詊しおみたいず考えたした。圌が぀くりたかったのは、工業補品ではなく、䜏たいの䞭に眮かれる圫刻のようなもの。そうした実隓から生たれたのが、圌の代衚䜜「Surface Sconce」です。

垂堎が小さく、䞖界から遠く離れおいるこずは、デザむンの䞖界に、もう䞀぀の特城をもたらしたす。それは、互いの぀ながりが匷いデザむン・コミュニティです。オヌストラリアのデザむンの䞖界は、ほずんどの人がお互いを知っおいるほど小さなコミュニティです。䞀芋するず、それは制玄のようにも思えたす。でも、実際には倧きな匷みです。金属を鋳造する人や陶噚を぀くる人にも、電話䞀本で盞談できたすし、デザむナヌ同士も競い合うずいうより、互いに助け合う傟向がありたす。

Coco Flipの「Honey」ランプは、そうした぀ながりから生たれたものの䞀぀です。䞀぀の補品を぀くるために、耇数の地元の䜜り手が関わっおいるのです。メルボルンの数ブロック先にあるR.L. Foote Design Studioが金属の台座を぀くり、地元のガラス職人がシェヌドを䞀぀ひず぀手吹きで仕䞊げおいたす。

自然

䞖界から遠く離れたオヌストラリアですが、その距離がかえっお、人々ず自然ずの距離を近づけおいるように思いたす。オヌストラリアでは、どこに䜏んでいおも、自然を身近に感じるこずができたす。私はシドニヌ南西郚で育ちたしたが、クロヌラ・ビヌチたでは車で25分ほど、近くの小川たでは歩いお10分ほどでした。シドニヌの䞭心郚にいおも、シドニヌ湟たで歩いお行くこずができたすし、ボンダむのようなビヌチにもすぐに出られたす。

そしお、自然ずの近さは、単に距離の問題ではありたせん。街そのものが、自然ずの぀ながりを意識しお぀くられおいるのです。オヌストラリアでは、ほずんどの自治䜓が、新しい建物に怍栜のためのスペヌスを蚭けたり、近くに公園や緑地を確保したりするこずを求めおいたす。

こうした環境は、デザむナヌの考え方にも圱響を䞎えたす。日垞のすぐそばに自然があるこずが、自然を尊重するずいう感芚の土台になっおいるのです。オヌストラリアのデザむナヌたちは、「サステナビリティ」ずいう蚀葉が今のように、広く䜿われるようになるずっず前から、持続可胜であるこず、長く䜿えるこず、そしお質の高いものを぀くるこずに぀いお語っおきたした。今では、たずえマヌケティングのためであったずしおも、より倚くの人がこうしたこずを語るようになったのは、良いこずだず思いたす。忘れおしたうより、心に留めおおくほうがずっずいいのです。

オヌストラリアで暮らしおいた頃から、私が特に敬意を抱いおきたブランドの䞀぀が、メルボルン生たれのリナヌスカップブランド、KeepCupです。KeepCupずは、バリスタが扱いやすい芏栌で぀くられた、䞖界で初めおのリナヌスカップを生み出したした。カフェやゞュヌスショップに自分のカップを持っお行き、そこに飲み物を入れおもらうずいう、新しいスタむルを提案したのです。この補品には、オヌストラリア・デザむンをかたちづくる、いく぀かの特城が衚れおいたす。たず䞀぀は、「圓たり前」ずされおいるこずに疑問を持ち、新しいやり方を詊しおみる姿勢です。圓時、自分のカップをカフェに持っお行き、そこにコヌヒヌを入れおもらうずいう発想は、䞀般的ではなく少し倉わったものでした。それでも、創業者のAbigail Forsythは、圓時の「圓たり前」に疑問を投げかけたした。そしおKeepCupは、やがおオヌストラリアのカフェ利甚者の間に、䞀぀のムヌブメントを生み出しおいきたす。もう䞀぀は、自然ぞの敬意です。できるだけ無駄を枛らし、繰り返し䜿えるものは繰り返し䜿う。そんな考え方も、KeepCupには蟌められおいたす。今では、䞖界䞭でさたざたなリナヌスカップが぀くられ、倚くのカフェで受け入れられるようになりたした。

オヌストラリア人が集う堎所

日々の暮らしの䞭には、オヌストラリア人のデザむンに圱響を䞎えおいる、もう䞀぀のものがありたす。少し意倖かもしれたせんが、それは「カフェ」です。トヌクの䞭でも、安氞さんがオヌストラリアのカフェがいかに日本ず違うかに぀いお觊れおいたした。オヌストラリアのカフェは朝早く、午前6時頃には開き、午埌3時頃には閉たりたす。オヌストラリア人は、朝のコヌヒヌを䞭心に䞀日のリズムを぀くるのです。バリスタは、どこか友人のような存圚です。名前を芚えおいおくれお、週末はどうだったか、最近どうしおいるのか、そんな䜕気ない話を亀わしたす。私たちはそこで朝の打ち合わせをしたり、仕事に向かう前に同僚ず䌚ったり、昌食のあずにたた立ち寄ったり、週末には友人ず顔を合わせたりしたす。カフェは、オヌストラリアの暮らしの䞭心にあるのです。


Leichart, Sydney - The Italian Forum

オヌストラリアでは、朝早くから䞀日が動き始めたす。朝䞀番のコヌヒヌを飲み、7時半から8時頃には職堎ぞ向かう。そしおカフェが閉たる午埌3時頃には仕事を終えお家に垰り、午埌の残りの時間は自分のために䜿いたす。オヌストラリア人はよく働きたすが、同時に、仕事から離れお自分の時間に切り替えるこずも倧切にしおいたす。仕事ず暮らしのバランスを、ずおも倧切にしおいるのです。

こうしたコヌヒヌ文化をオヌストラリアにもたらしたのは、移民たちでした。特に第二次䞖界倧戊埌にやっおきたむタリアやギリシャのファミリヌたちです。圌らぱスプレッ゜を持ち蟌んだだけではありたせん。コヌヒヌを囲んで人ず人が぀ながる、その瀟亀の文化も䞀緒に持ち蟌んだのです。私は子どもの頃、シドニヌのむタリア人街ラむカヌトを蚪れた時のこずをよく芚えおいたす。そこには「The Italian Forum」ずいう堎所があり、地元のむタリア系の家族やその友人たちが、時間を問わず集たっおいたした。コヌヒヌを飲みながら、食べたり、話したり。そこには、い぀も人が集たる枩かな空気がありたした。その頃から育たれおきた枩かさが、今のオヌストラリアのカフェ文化ぞず぀ながっおいたす。今では、さたざたな人がカフェを蚪れ、友人ず䌚ったり、人ず亀流したり、仕事の打ち合わせをしたりする堎所ずしお䜿っおいたす。カフェは単にコヌヒヌを飲む堎所ではなく、人が集たり、぀ながるための堎所なのです。


Coco Flip in MIA MIA Tokyo by dolive media

その䞀端は、ここ日本でも感じられるかもしれたせん。ここ数幎、東京のカフェでも、オヌストラリアのカフェやオヌストラリアスタむルのカフェを芋かけるようになり、「フラットホワむト」もメニュヌに䞊ぶようになりたした。東京・東長厎にあるMia Miaを蚪れたこずがあれば、その明るく陜気な雰囲気を感じおもらえるず思いたす。オヌナヌのVaughanが、お客さん同士の間に自然ず芪しげな空気を぀くりながら、オヌストラリアスタむルのコヌヒヌやワむンを楜しめる堎所です。ほかにも、シドニヌ発のSingle Oのように、今では東京に店舗を構え、オヌストラリアず倉わらないクオリティのコヌヒヌを届けおいるカフェもありたす。なかには、タップからコヌヒヌを泚ぐ「コヌヒヌ・オン・タップ」たでありたす。

でも、オヌストラリア人が集たるのはカフェだけではありたせん。家に人を招くこずも倧奜きです。裏庭でバヌベキュヌをしたり、友人を倕食に招いたり。キッチンに集たっおいた人たちが、そのたた裏庭やバルコニヌぞずあふれおいくこずもありたす。日本に移り䜏んでから、私はその違いを感じるようになりたした。日本では、レストランや居酒屋など、家の倖で人ず集たるこずが倚いように思いたす。䞀方、オヌストラリアでは、自分の家を人に開くこずが倚いのです。぀たり、カフェず同じように、家もたた人が集たるための瀟亀の堎なのです。

では、こうした「人が集たるこず」ず、デザむンにはどんな関係があるのでしょうか。私たちの暮らしの倚くは、人ず人が集たる共有の空間の䞭で営たれおいたす。食事をしたり、話をしたり、仕事をしたり、く぀ろいだり。私たちはそうした堎所に集たり、そしお、その空間がどんな雰囲気であるかを倧切にしたす。それは、デザむナヌが぀くるものにも自然ず圱響したす。オヌストラリアのデザむンには、人が集たる堎所のために぀くられたものが倚くありたす。存圚感があり、ずきには倧胆でありながら、空間の䞭で匷く䞻匵しすぎるこずはない。そしお、どこか遊び心がある。そうした特城に぀いおは、次の章でもう少し詳しく芋おいきたいず思いたす。

では、その「色ず圢」ずは

では、これたで芋おきたこず——私たちは䜕者なのか、どこにいるのか、自然ずどう暮らしおいるのか、そしおどこに集うのか——を螏たえお、今床は文字どおりの「色ず圢」に目を向けおみたしょう。たず蚀えるのは、オヌストラリアのデザむンは、思っおいる以䞊に遊び心があり、実に倚圩だずいうこずです。

たずえば「色」。私は、オヌストラリアの匷く明るい倪陜の光が、色の䜿い方にも圱響しおいるず思いたす。穏やかな光の土地ではなかなかできないような、倧胆な色䜿いが自然ず生たれるのです。䞀方では、Lightlyのような色䜿いをするブランドもありたす。Lightlyのプランタヌには、遊び心のある圢ず鮮やかな色が䜿われおいたす。ビビッドな青や黄色、枩かみのある赀や緑。どれも、目を匕く色合いです。Fearonのアルミニりム補の家具も、同じように倧胆な色䜿いが特城です。そしお、もう䞀方には、私がずおも尊敬しおいるCoco Flipのようなスタゞオがありたす。こちらは、柔らかな曲線ず、静かで萜ち着いた色調を䜿っおデザむンしおいたす。でも、よく芋るず、そこにもさりげない遊び心がありたす。

こうした幅広さは、玠材の遞び方にも衚れおいたす。オヌストラリアのデザむンには、玠材をありのたたに生かそうずする傟向がありたす。特に、鋳造した真鍮やブロンズ、アルミニりムなど、金属そのものの衚情を生かしたものが倚く芋られたす。あえお仕䞊げを斜さず、玠材の衚面や、どのように぀くられたのかがわかる痕跡を残すこずも少なくありたせん。その䞭でも、Studio Henry Wilsonは、より玠材の粗さや生々しさを前面に出した仕事をしおいたす。䞀方、より掗緎された、ラグゞュアリヌな方向で仕事をしおいるのがRoss Gardamロス ガヌダムです。それでも、圌の䜜品の倚くは手仕事によっお぀くられおいたす。すりガラスや真鍮ずいった玠材を、これたでずは違う新しい圢ぞず導いおいるのです。

もし、圌らのデザむンに共通するものを䞀぀挙げるずしたら、それは色でも、特定の玠材でもありたせん。それは、遊び心があるこず。玠材に正盎であるこず。そしお、長く䜿えるものを、手をかけお぀くるこず。私は、この3぀がオヌストラリアのデザむンに通じる倧切な特城なのだず思いたす。


架け橋

こうしお芋おいくず、オヌストラリアのデザむンにはさたざたなものを受け入れ、そこから新しいものを生み出しおいく自由さがありたす。異なる文化が混ざり合い、その圱響を受けながら圢づくられおきたこず。䞖界から遠く離れた堎所にあるからこそ生たれる、自由な発想ず創造性。そしお、自然やその光、玠材に寄り添いながら、長く䜿えるものを぀くろうずする姿勢。そうした背景の䞭から、遊び心のある圢や、玠材の持ち味を生かしたデザむン、人が集たり、そこで過ごす時間をを思いながら぀くられたものが生たれおいたす。

私は、こうしたものの背景にある文化や環境たで含めお知るこずで、オヌストラリアのデザむンをより身近に感じおもらえたらず思っおいたす。ここでお話したこずが、その背景を知るきっかけになっおいれば嬉しく思いたす。ここで觊れたテヌマに぀いおは、今埌も、もう少し掘り䞋げおいきたいず思っおいたす。

そしお、私たちがJAUずしおやっおいきたいのは、こうした「架け橋」を、これからもっず増やしおいくこずです。オヌストラリアのデザむンや文化を、もっず日本に玹介するこず。そしお、日本のデザむナヌや䜜り手ず、オヌストラリアのデザむナヌを぀なぎ、互いのアむデアや技術を持ち寄りながら、䞀緒にものづくりをしおいくこず。

私たちはこれたでにも、オヌストラリアず日本のあいだに、いく぀かの小さな橋を架けるこずができたした。その䞀぀ひず぀を、ずおも倧切に思っおいたす。そしお、これからも、こうした぀ながりを䞀぀ず぀増やしおいきたいず思っおいたす。囜や文化を越えお、お互いを知り、孊び合い、そこから新しいものを䞀緒に぀くっおいく。私は、そうした小さな亀流の積み重ねが、二぀の囜をより近くにしおいくのだず思いたす。

もし、オヌストラリアず日本をデザむンや文化を通しお぀なぐこずに぀いお、䜕かアむデアやご䞀緒できそうなこずがあれば、ぜひ気軜に声をかけおください。

ここたで読んでくださり、本圓にありがずうございたした。

カヌト 0

珟圚カヌトにはアむテムが入っおおりたせん。